毎年10月、埼玉県の西のはずれの山あいに黒色火薬のにおいが立ちこめ、独特の節回しの口上が谷に響き、そして布を引き裂くような音がする。松の丸太をくり抜いて火薬を詰め、長い竹の矢柄に結わえた全長およそ20メートルの手づくりロケットが、木組みの櫓を離れ、棚田の上を数百メートルまで駆け上がっていく。白い煙の筋が、のぼりながらねじれていく。
その煙が龍のように見えることから「龍勢(りゅうせい)」と呼ばれる。秩父市下吉田の椋神社の例大祭にあわせて奉納されるこの行事は、毎年10月の第2日曜日。2026年は 10月11日(日) にあたる。日本の山里が持つ、いちばん本格的な「宇宙開発計画」だ。
つくるのは企業ではなく、集落
花火大会と決定的に違うのは、打ち上げるのがプロではないところだ。龍勢をつくるのは「流派(りゅう)」と呼ばれる約30の地元集団で、それぞれが吉田地区の集落や町会に根ざしている。所属は家ごとに受け継がれ、火薬の配合、詰め方の呼吸、筒の内径のとり方は流派の技として守られる。一年かけて議論し、試せるのは年に一度だけだ。
ロケットの本体は、くり抜いた松材を鉄や竹のタガで締め上げた筒。ここに自分たちで調合した黒色火薬を詰め、尾翼と重心の役目を果たす長い竹竿に結わえる。頂部には「背負い物」が載る。頂点で開く唐傘、落下傘、色煙、舞い落ちる吹き流し。飛ばすことが技術の半分で、燃料が尽きたあとの見せ場がもう半分である。
2018年には国の重要無形民俗文化財に指定された。起源は戦国期の狼煙(のろし)に遡るとも伝えられ、四百年のあいだに諸説が枝分かれしてきた。
一発の流れ
花火の夜とはまったくテンポが違い、そこがいい。各流派の持ち球は一年に一発。打ち上げの前に、櫓のそばの台に二人が上がり「口上」を述べる。流派の名、龍勢の名、背負い物の趣向を、半ば自慢、半ば祈りのような独特の節でうたい上げる。その声が谷じゅうに届く。
そして点火。まっすぐ空を切り裂いて観客の顔がいっせいに上を向くこともあれば、櫓を横に離れてそのまま山肌に突き刺さることもある。失敗は公開で、即座で、ため息と笑いで受け止められる。この不確かさこそが人を呼び戻す。
打ち上げは朝から夕方5時ごろまで、およそ30発。間隔は15〜20分ほど。全部を見る必要はなく、2〜3時間いれば祭りの呼吸はつかめる。ただ、経験を積んだ流派ほど後半に配されることが多い。
アクセス
秩父は都心から十分に日帰りできる。池袋から西武池袋線の特急ラビューで西武秩父まで約80分、そこから秩父鉄道が谷を奥へつないでいく。打ち上げ会場は市街地から北の下吉田地区にあり、どの駅からも歩ける距離ではない。
祭り当日はシャトルバスが運行され、周辺道路は一般車両が規制される。「車で行って近くに停める」計画だけは確実に失敗するので避けたい。シャトルの時刻と、事前販売の有料観覧席は公式サイトで確認を。櫓を正面から確実に見たいなら有料席の価値は高い。斜面での一般観覧は無料だ。
会場のとなりには龍勢会館があり、実物大の龍勢や道具、映像が通年で展示されている。10月以外に秩父を訪れる人にもおすすめできる。
『あの花』の聖地として
観客に若い層が多い理由がもうひとつある。秩父はアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の舞台であり、龍勢祭は物語の中でも重要な場面を担う。彼らにとって打ち上げ櫓は巡礼地のひとつで、旧秩父橋や神社の石段、荒川の河原とあわせて巡る姿をよく見かける。
秩父をもう一泊ぶんだけ
龍勢は半日で終わる。秩父はもっと長く居られる土地だ。
市街の中心にある秩父神社は、祭りの喧噪の対極にある静かな場所。17世紀の社殿は極彩色の彫刻で覆われ、左甚五郎作と伝わる「子育ての虎」「つなぎの龍」が見どころだ。12月の秩父夜祭の舞台でもある——日本三大曳山祭のひとつでユネスコ無形文化遺産にも登録されており、10月の訪問はそのまま下見にもなる。
三峯神社は谷の最奥、標高の高い山中に鎮座する。狛犬のかわりに狼が守る社だ。西武秩父駅から長いバス旅になるので午前をまるごと空けておきたい。冷え込んだ晴れの朝には、社の下の尾根が雲海で埋まる。標高が高いぶん紅葉は10月下旬から始まり、谷底より一足早い。
荒川を下った先の長瀞渓谷は、この地域のもうひとつの看板。結晶片岩が板状に広がる「岩畳」、瀬を下る和船のライン下り、宝登山のロープウェイ。紅葉の見ごろは11月上旬から中旬なので、10月11日なら混雑前の青い渓谷と、舟に乗りやすい気候を楽しめる。
食べるもの
秩父の食は山の食だ。名物はわらじカツ丼——わらじほどの大きさのカツが二枚、丼からはみ出してくる。みそポテトは、揚げたじゃがいもに甘い味噌だれをからめた屋台の定番で、涼しい斜面で食べるとちょうどいい。酒も強く、谷にはいくつもの酒蔵があり、そして「イチローズモルト」で日本のクラフトウイスキーを世界地図に載せた秩父蒸溜所がある。
実用メモ
- 早めに。 席も日陰も先着順で、シャトルの列は午前中いっぱい伸び続ける。
- 野外の装備で。 観覧場所は山の斜面。帽子、午後の冷え込みに備えた重ね着、汚れてもいい靴を。
- 現金を。 下吉田の屋台はキャッシュレスとは言いがたい。
- 音対策。 打ち上げ音は大きく、タイミングも読めない。小さな子ども連れは耳栓があると安心。
- 天候。 風や雨で進行は変わり、荒天時は打ち切りもある。出発前の朝に最新情報を。
山あいの谷底に立って、30組の素人ロケットチームが順番に空へ挑むのを眺める。一発一発に一年ぶんの議論と、一本の唐傘が乗っている。これを一度見てしまうと、12月の曳山祭さえ少しおとなしく思えてくる。